OKUNO JOURNAL
そのとき私が受けた「衝撃的な屈辱感」を
今でも忘れることができません。
石原 その時に、ヨーロッパ各地も廻られたそうですが、各国の人々は敗戦国ドイツ等をどのように見ていたものですか?
長原 ふと寄ったバーで出会った人達との会話の中では、ドイツ人を尊敬する人と軽蔑する人の両方いましたね。フランスのバーでは「ドイツベア(ドイツの熊ヤロー)」と軽蔑するし、オランダで日本人だというと「オレの弟はマレーシアで日本軍に殺された」と怒りをぶつけられましたよ。そういう戦争の体験を持つ人々がたくさんいた時代でした。でも総じていえばイタリア人は「ああ、イタ公か」とバカにされていましたが、日本人にはそうでもなかったですよ。日独伊の三国同盟側と英米などの連合軍側とで戦争をしていたのに、イタリア人だけはさっさと降伏してしまった弱虫だ、というわけですよ。
石原 その昔あの強大な「ローマ帝国」を作り上げたイタリア人ですが、今では享楽的で自己主義の弱虫イメージですか(笑)。
長原 まあ、塩野七生の「ローマ史」なんかを読んでいるとあの時代の武将達だって何人も女を作っては享楽にうつつを抜かす話が出てきますでしょう(笑)。イタリア人はやっぱり永遠のイタリア人ですよ…(笑)。
石原 ドイツ研修の3年間余りで身に付け、考え続けてきたこととは?
長原 私は3年間で約18万km、車を乗りつぶすほどヨーロッパ中の美術館などを見て回りました。そんな中での強烈な体験です。デンマークの「フレデリシア」という家具工場行った時のことです。そこでは当時有名なデザイナーたちの椅子を作っていました。訪問した私に社長は自らそれらの製品を見せてくれました。そして自慢げに「我が社は欧米各国や日本にも輸出している」と言いながら、更に「この材料は君の国の日本から来ているものだよ」と言ったのです。もちろんその社長はただ自社のすごさを説明しただけでしたが、それを聴いた私の受けた「衝撃的な屈辱感」を今でも忘れることができません。私は全くその逆のことを感じ背筋を打ちのめされました。
石原 はあ。
長原 その日本からの木材とは実は「北海道のナラ材」だったのですが、当時日本では家具の材料としては全く無視されていて、只同然の価格で輸出されていました。それをヨーロッパでは付加価値をつけて、世界中に輸出しているというのです。日本ではほとんど無視されている「ナラ材」がこちらでは貴重品としてあつかわれていることも知ることができました。ともかくその時私は、日本とヨーロッパとの間には、その技術力、デザイン力、世界中をマーケットとするマネジメント力などにおいて、あまりにも大きな差があること知り、打ちのめされたのです。ドイツでいろんな国の職人達と一緒に働いてみて、私は手で仕事をすれば誰にも負けないという自負心を持ちました。その一方で工場生産システムについては彼らの方が遙かに優れていることを知りました。それならば、私がその両方を上手くミックスすれば世界一の工場ができるだろう、世界一の「ものづくり」ができるだろう、というのが帰国する時の僕の結論です。それをやりたい!と。
石原 なるほどねぇ…。
長原 と同時に、貴重な資源をただ輸出するだけの植民地的経済の状況から北海道は脱却しなければならない。北海道で十分輸出できるような家具を作れば、その木材は4倍以上の価値が付くだろう、等といろいろ思いながら帰国しました。都合、3年半ヨーロッパで過ごして来て、一番大きな収穫はそれです。「自分のやるべきことが決まった!」という…。31歳の時です。
石原 31歳にして、バチッとですか。
長原 最初まず僕は「職人として独立」したかったのですが、松倉さんに教えていただいて、「デザイナーとして独立」を考えました。直接「デザイン」を吸収しようとドイツに行き、ヨーロッパのあちこち駆け巡り、帰国したら「プロのデザイナーとして独立」と思っていたのです。でもデンマークのあの会社に行った時に、「それ」を見ちゃったのです。変転の末に、「オレは世界一の家具づくりをする」と方向決定したのです。
石原 その当時の日本で「プロのデザイナー」と考えるのは、それにしても随分な先走りですね〜。
長原 日本では柳宗理さんとか渡辺力さん等がインダストリアルデザイナーとして1950年代に独立、一部では注目されていたことを私は後になって知りました。大体「デザイナー」というビジネスが一般に知られるようになったのは、1970年の大阪万博以降ですよね。僕の場合は、松倉さんの書斎や東京で本や雑誌を通じてデンマークや北欧の「デザイナー」の作品を見た結果です。それらの人々はみんな最初は職人で、5年〜10年と身体で「ものづくり」を覚えてからデザインの道に入っていますから、私自身の進んできた道と同じなのですよ。
石原 椅子などの家具は「ものづくり」を知っていないとね。座ったらすぐ壊れるようなデザインをしても話になりませんものね。
長原 そうです。そのことは「バウハウス」を作ったモダニズム建築の祖ともいえるヴァルター・グロビウスという人が言っています。「デザイナーである前に職人であるべきだ」とね。
石原 ですからオレはデザイナーで日本の第1人者であろうと…。
長原 いやぁ、まあ〜そこまで大それたことではなくて、なんだかそういう「デザイナー」という仕事で食べていきたいなぁ…というくらいでしたよ(笑)。


<第8回> 数人で400万円用意してくれたのです。 >>



Copyright (c) OKUNO All rights reserved.


これまでの特集対談



CONDE HOUSE 会長
長原実

イントロダクション
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回



Hotman 創業者
田中富太郎

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回



衆議院議員
鈴木宗男

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回



旭山動物園 園長
小菅正夫

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回



旭川市長
西川将人

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回



UNITED ARROWS クリエイティブディレクター
栗野宏文

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回



優佳良織 織元
木内綾

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回



北海道東海大学 教授
織田憲嗣

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回



北海道東海大学 大学院生
張彦芳

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回



同済大学 建築設計研究院院長
丁潔民博士

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回



吉田カバン 会長
吉田滋

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回



UNITED ARROWS 社長
重松理

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回